人生は…
人生の半分は、ゲームだ。
加瀬亮が出演したCMのキャッチコピー。
毎日の半分は同じことの繰り返し、
歯を磨いたり、会社に行ったり…
だけど、もう半分は偶然の出会いとか、エキサイティングであると。
後だし「じゃんけん」みたいだけど、
偶然というか、仕事を通して、
自分も同じような切り口のコピーを考えてた。ぐーるぐる。
thinkringである。造語である。
だけど、「ちくりんだから?」と即バレするのは、恥ずかしい。
人生は、クエストだ。
「人生とは死ぬまでの暇つぶしだ。」と誰かが言ったと思うけど、
では、暇つぶしとは何なのだ?
自分なりに考えたカケラは、
やるべきことと、
やったことで得られるインセンティブが用意されている
「お題」
に臨むこととか、臨んでいる状態、のことを言うのではないか。
つまり、ここで言うクエストとは、
探索とか探求といった、そのものずばりの意味ではなく、
ゲームなどで使われる意味でのクエストであり、
(ドラゴンクエストとかRPG内で使われているアレ)
日本語であればやっぱり「お題」に近い…気がする。
「敵を倒したら、レベルが上がるよ」という風な。
(まったく自分はゲームやらないけれど…)
『暇つぶし=ゲーム』、と連想してしまうのは、
ゲームという遊びが「お題」の連続によって、
もっと言うと「お題」の集合体の上で成立しているモノであり、
やるべきことも、それによって得られるインセンティブも明確だから、
な気がする。
じゃ、「人生はゲームだ。」って言いたいのかというと、
そうじゃなく、
人間の行動ひとつひとつだって、
何かしらのインセンティブを得るために行動しているのじゃないかと、
息をすることや、メシを食うことや、友だちとしゃべることだって。
だから、あくまで、「人生はクエストだ。」
……なのだ。
「暇つぶしである。」ということの逆説的な意味において。
で、そろそろ風呂敷を畳むところなのだけど、
仕事で企画を考えるときに、
やるべきことと、やったことにおいて得られるインセンティブ。
この関係のバランスが適切なのか、
改めて意識していかないと、と思ったわけです。
「酸素」というインセンティブを得るためのやるべきことが、
東大受験くらいの難易度だったら、生まれてすぐにみんな死んじゃうし。
嗜好性の強いテトリスみたいなもんだったら、
「酸素」を得ることこそが人生みたいになってしまうし。
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いやぁ、我ながら、
ポケットサイズな風呂敷になってしまって申し訳ない。あは
ちなみに、風呂敷も畳みに畳めば(25回くらい)
富士山くらいの高さにはなるらしい。
大きく広げた風呂敷は、畳み方がポイントということか……なんのこつかようわからんごなったわ(汗)



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