えら呼吸
信号が変わる1分も待てないで渡ったりするくせに
13時間も寝たりする。
チラシを見て少しでも安いものを買うくせに
たくさん持ってるケアベアをまた買ったりする。
今も昔も、よく、何も考えてなさすぎると言われる。
そういわれた瞬間、その人が信用できなくなる。
考えてなかったら、ぬるま湯でもうすこし大きく泳ぎ続けられる。
けっこう追い込むんだと思う。適当に合わせられない。
追い込んで走って走って周りが見えてきた頃に
あれって思って、歩く事すらやめちゃう。
停止。
今までの自分を振り返って
あの時、どれを選べばよかったの不安になる
どの言葉を言えばよかったのか、
誰の手を離しちゃいけなかったのか、
後悔してみたり、
これでよかったのかもと思ってみたり。
バイトで仕事始めたときは
すぐ受け止めすぎるって言われて、
打たれ強く なれって言われた。
今は、人に合わせてへらへら笑ってたり、
話しかけたり、腑に落ちなくても謝ってる。
きらきらするものが、なくなっちゃった。
ずっとコミュニティーで、
コミュニティーやってる時は、
チューニング合わせれば、
聴いてる人はコミュニティーもキー局も一緒。
同じ土俵って思ってたけど、
やっぱり、コミュニティーは聴いてもらえる規模も人数も桁違い。
同じように1時間を一生懸命やってても、レスポンスが全然違う。
だから、コミュニティーで番組やってて、
本当に私が作ったものが面白いのか、何が足りないのか、よくわかんなくなってて、
ほんとに、自己満足で一方通行になってて、時間と一緒に空気と同化して消されちゃう気がした。
キー局、やってる事は、ほんと一緒で、むしろ仕事分担がきっちりされるから、
仕事はかなり楽ちんになった。
番組の合間にスポンサーとるためにお店行って挨拶したり
セールスシートもってったりしなくていいし、
OAテープやCMのチェックとか、
ミキサーもしなくていいし、構成考えなくていいし、ステッカー作んなくていいし、
収録やパケもないし。
ほんと、担当の原稿と、セッティングと、OA中のアシスタント。
渋谷やめるとき、
ここ辞めるぐらいだから、うっしーは他では働けないよ。って言う人がいた。
私は、渋谷で結構がっつり働かせてもらってたから
どんなに苦しくても耐えれる自信があった。
念願のキー局はむしろプロ意識ばっかり強くて、なんか、みんなが孤立してるかんじがした。
営業にくる人も、ゲストも、プロモーターさんも、スタッフも、ナビも、
なんか、その局のブランドの中で頭の上でしゃべってる感じ。
んで、まわりは敵なかんじ。軽くてうすっぺらでうそくさくて、
気持ちのこもってない会話。
そんな中で唯一うきうきしてたのが番組にくるリスナーさんの反響、
コミュニティーではほんと考えられないぐらい。
ナビの発する1言で何百通ものメールがいっきに来る。
言葉が、生で届いてる感じがうれしかった。
今、番組で音楽のしりとりをしてるんだけど、
それは全部リスナーのリクエストでしりとりしていって、
それって、最初から、リスナーからのリクエストがあるものとして
番組コーナーの構成を立ててて、
だいぶやってるけど、不都合なく、途切れることなく100曲ぐらい応募がくる。
そういうのって、ほんとに、ラジオやってる感があって、すごくうれしい。
じかんを共有できてるって思う。
けど、
ラジオやってる感もまた、ただの自己満足でしかない。
ただ、コアリスナーがもともとたくさんついてくれてる局っていうだけで、
自分たちが作ったものがちゃんと人を惹きつけてられてるかは
また違うとおもう。
今まで、聴いた事もなかったエグザイルやグリーンや木村カエラや浜崎を
たくさんかけた。他の時間もたくさんかかってる。
たくさんきいても、私には、何もあんまり残らなかった。
曲名は覚えられないまんま。
次の新曲になる。
一週間、朝から夜を通して、ぶつ切りにしても
多分あんまりかわらない。
同じような曲が流れて同じようなしゃべり手がいて、同じような事を言う。
切っても切っても少し違うだけで、同じ空気にしかならない。
なんか、つまんない。
どきどきしない。
この人だから、聴きたいとかがあんまりない。
つらーっと聴いてくれてる固定のリスナーだけ。
んで、そのリスナーと一緒に局も、作り手も同じように年をとっていくかんじ。
その点、渋谷はどこを切ってもいつも斬新で
聴いた事もない新しいどきどきするような音が溢れていた。
キー局、コミュニティー、
私がやりたかったものってなんだったんだろうな。
なんか、わかんなくなった。
そもそも、ラジオにこだわってた理由とか。
つくりたいものがなくなってる。
こういうので、って言われれば、
こういうコーナー入れて、こういう流れでって
今までのの応用やありもので対応できると思うけど、
今までに聴いた事ないような、どきどきするようなのとか、
つくる意欲とかもきっとなくなっちゃってるな。
バイトしてた大学4年の時、初めて番組のジングル作ったときみたいな
あのどきどきとか、うれしさとか、なくなっちゃったな。
そして、なにより人を寄せ付けないバリアを張ってる。
私がずっと帰ってこない。
これからどうすんだろう。
ガラスの向こう側になるんだな。
うちに来て1年
去年1月17日にちゃいこが死んでから1年、
悲しくて暗くなった家を明るくしてくれたのが
1月19日に家に来た鮭だった。
1年たって、
家の中心に鮭が居る。
おかあさんが、
ちゃいこはもうだいぶ遠いところに行ったねっていったから、
不思議な気持ち。
sunaga T experience
金曜日、辰緒さんが次の番組のゲストだった。
お見かけしてすごくうれしくて、あいさつしたら
いろいろびっくりしてらっしゃった。
渋谷の事とかお話して、
帰り際、最後まで
うっしー、がんばれよ。がんばれよ。って
すごく力強くお声がけしていただいた。
辰緒さんのお顔見ただけで
いろんな感情がこみ上げてきて、
さらに、辰緒さんの言葉に、
泣きそうになった。
がんばれって言葉は苦手なんだけど、
今まで、30年近くDJとして今の地位やスタイル、歴史を築かれた辰緒さんの
がんばれの言葉は、
なんか重みが違った。
そっか、がんばらないと。
まだ逃げちゃいけないな。
がんばんないと
いけないな。
あしたもしあさっても
なばなの郷はもう早桜が咲いてた
大須観音の故郷が羽島にあった。
天井画がすてきだった。
欲を言えばきりがないから、
ただ1つ、ただ1つ。
あけ
お正月は仕事だった。
1日が特番でJさん8時間はこってりだった。
2日は6時間生後に新年会で顔引きつりそうだったから
正直帰りたかった。
雪で迎えた2010


